妻の闘いの記録3

手術後順調に時を重ね、1日1日の大切さ、家族の尊さを噛み締めながら過ごしていきました。

術後半年が経ち、通院が3か月に一回となり、この時からは経過を観察する通院となりました。

経過は順調に進み普通の日常を取り戻し、術後3年が経ちました。

妻は遺伝性のがんであり、卵巣やもう片方の乳房も発症リスクが高く、医師からは発症する前に予防切除をするよう勧められ、今度は違う病院へ通うようになりました。

自宅から片道3時間の病院へ、これから行う手術の計画、術前検査と数回通院した後に、卵巣を切除する手術を行いました。

術前検査も異常なし、手術自体も順調に終わり計画通りに退院してきました。

術後に卵巣の病理検査の結果と体のチェックをするための通院を一回して、そこで体に異常がなければ、次はもう片方の乳房の切除と再建手術も視野に入れてました。

ある日、病院から連絡が来て、『◯日に来ることは可能ですか?』と連絡が入りました。

妻も私も病理検査早く終わったんだね、と何も疑うことはありませんでした。

結果聞くだけだから私1人で行ってくると、友達とご飯でも食べて一泊してくるねと言ってたので、楽しんでねと送り出しました。

仕事中に、妻からLINEが入っていてLINEに気づいたのは仕事が終わりかけた夕方でした。

『卵巣に乳がんの転移が見つかった』

『腹水にもがんの成分が見られる。ステージ4だって。ごめんね』

私はこの文字を理解するのに数分かかりました。術前検査でも異常ないし、普通になんの症状もなくて、妻もすごく元気だったから。

とにかく私は妻を迎えに行きたくて一泊する予定のとこをキャンセルさせ、迎えに行きました。この時、妻の友人がずっと寄り添っていてくれて、本当にありがたかったです。

妻を迎えに道中、ずっと『なんで?』と答えの出ない問いを自分にしてました。

妻からは、

『ずっと一緒にいれると思ってた』

『幸せすぎたのかな』

『なんで私なんだろう』

と他にもLINEが入ってました。

私も同じ気持ちで、運転しながらはやる心を落ち着かせるのに必死でした。

妻の元に到着し、妻の友人に感謝をし、自宅に向けて車を走らせました。

1人で病院に行かしてしまったことを謝り、2人で泣きながら帰路につきました。

今まで辛い治療を乗り越えてきたのは、なんだったのか、なんで妻で、なんで今なのか、2人で車の中で思いの丈を吐きながら帰りました。

家に着く頃には、まだ方法はきっとある、まずは元の病院への通院がまた始まるねと話して

『またハゲちゃうのかな』

と少しは笑いながら話せる状態になりました。

この時、妻は『実は何も根拠ないけどちょっと嫌な予感してたんだー』『1番最初にがんって言われた時よりはマシかも』

なんて口にしてました。逆に私が暗くならないように気を使って話してたのかな?なんて思います。

後から妻の姉に聞いたら、地下鉄で1人で大号泣してたと聞いて、いつも1人で抱えさせてしまったなと本当に反省しました。

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