最後の闘い

ステージ4

ステージ4が確認されて、もともと通っていた病院へ再度通院することになりました。

全身を検査すると、骨、肝臓、腎臓、肺と多臓器に転移が見つかりました。

余命半年から1年、、、半年前に血液検査した時は異状なかったのに、、、

当時令和7年の11月、これからできる治療は何があるのか、

ガンが最初に見つかった時、私たちはこれでもかっていうくらい調べました。

調べたからこそわかる「ステージ4」という言葉の重さ

病院へ行く足取りは二人とも重かった記憶があります。

これからの治療

主治医に会うとすべて話は通っていて、これからの治療について説明がありました。

結果、まだ希望は持てるということ。

ただ、最後を迎える覚悟も同時にしたほうがいいということ。

感情がぐちゃぐちゃになって、あまりそれ以降の話が入ってきませんでした。

妻はとにかく長く生きることを選択し、副作用が辛くとも治る可能性にかけました。

治療経過

病状が進行し、眠れない日々が続き、よく背骨が痛いと言っていて、マッサージを毎日してました。

2週間に一回、骨が溶けるのを防ぐ点滴と抗がん剤による治療を開始

治療が始まってからは、薬が効いているのか体の調子もよくなって

年明けにはなんとか旅行にも行けるようになりました。

「この時間が少しでも長く続いてほしい」

当時は、そんなことを考えていたと思います。

ただ、この薬はあまり長く持たないとも主治医から言われており、

次の抗がん剤についても説明をうけました

緩和治療

令和8年2月、見る見る妻の調子が悪くなってきて、薬の副作用が蓄積されるとも聞いていたので

薬を変えたほうがいいのか確認するために病院へ行きました。

そこで、検査した結果、薬の副作用ではなく、病状の進行が医師が想像するよりも遥かに早く

もう手の施しようがない状態になっていました。

そのまますぐ入院となり、薬による治療は中止し、痛み止めのみによる緩和ケアへと移行しました

最後の時間

面会制限もありずっと付き添うことができなかったけど、

なんとか子供たちと会って少し話すことができました

制限のある中、可能な限り付き添い、マッサージをして痛みを和らげて、

少しでも長く触れていたい。

そんな一心だったような気がします。

呼吸も辛くなってきて、目を合わせるだけの時間が多くなってきてました。

伝えたいことはたくさんあるけど、何から話せばいいのかわからないけど

これだけは伝えようと、私は心を決めて妻に

「今までありがとう」と伝えました。

すると、妻から

「幸せでした」

と言葉が返ってきました。

私は泣きそうになり、言葉を失い、手を握るしかできませんでした。

もっと一緒にいたかった。

子供たちともっと一緒にいたかったよね。

まだまだこれからだと思ってた。

そんな言葉を交わした夜に

妻は旅立ちました。

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